最初の教育の制度というのは、大宝律令(701年)による教育制度の確立である。これが、日本で最初の成文化された教育の制度になる。この骨格は中国唐の国子監制度から持ちこまれたものである。
その仕組みは、大学寮が中央(都)に一つ設けられた。式部省の所管で、明経道(経書)、算道(算術)および副教科の音道(中国語の発音)、書道(書き方)の四学科があり後に紀伝道(通称「文章道」、中国史・文章)と明法道(法律)が加わった。これらの「明」は、それについて「明るい」(ことの次第によく通じた)という意味である。
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その他にも、専門的な技術者養成機関としては典薬寮、陰陽寮、雅楽寮などがあった。これらでは医、薬、針、按摩、陰陽、天文占術、暦、雅楽などを教授した。
当時の学生は、大半は大学寮内に寄宿しており、代表的なものとして菅原清公(菅原道真の祖父)が設立して菅原氏・大江氏の管理下にあったとされる文章院がある。これに対して有力な氏族は大学別曹(だいがくべっそう)のような特別な寮舎(りょうしゃ)を設けて、一族の師弟をそこに収容した。これらは独立性を持ち、寄宿舎で、同時に研究所的な性格を持っていた。和気氏の弘文院、藤原氏の勧学院、橘氏の学館院、王氏の奨学院など。